きっかけは一人旅(その1)


 
 「中国へ行ってみたいなぁ」と漠然と思っていた私が計画を立て始めたのは1984年冬のこと。
生まれて2度目の海外旅行にして初めての一人旅に中国を選んだ私を同じ時期にニュ−ジランドへ留学する友達は「なんで、そんな暗いところへ行くの?」と不思議がっていたけど、『行きたい!』と思ってしまったのだから、もう止められない。
どのガイドブックにも「トイレットペ−パ−の芯を抜いて持っていく」とか「ティッシュペ−パ−の中身だけを持っていく」などと書いてある。中国旅行には『紙』が必需品らしい。
忠告に素直に従って、私もトイレットペ−パ−の芯抜きを持って行くことにした。
1985年1月下旬、期待と不安の入り混じった22日間中国一人旅へいざ出発!!

 
 両親が女一人旅に異議を唱えなかったのは、
当時の中国では外国人に対する犯罪は重罪だったため旅行者が犯罪に巻き込まれるというニュ−スも無く、『中国は治安が比較的良い』というイメ−ジがあったからかと思ったいたけど、実際はちょっと違ったようです。
後で聞いてみたら、反対してもどうせ私は聞かないだろうと諦められていたらしい。
さすが親だけに、自分の子供の性格をちゃんと把握していると感心しました。
その後の留学の時もやはり諦めていたので、あえて反対しなかったらしい。

 

ホテルから見た上海の町並み
(1985年1月早朝)


 旅の始めは、中国のビザを取るために香港へ。
1回目の海外旅行は友人達とアメリカ3人旅だったので、香港は今回が初めて。
日本で旅行会社に頼んであったので、現地旅行社の人にパスポ−トを渡し1日でビザ取得出来て、次の日には上海到着。
その頃中国に
カメラを持ち込む場合は、入国する時申告し、出国する時その控えとカメラをチェックされるので、控えの紙はとても大事なものでした。
今はそんなことはないようですね。

 上海探索に出かけてみると、ホカホカのお饅頭を売っている屋台発見。
美味しそうに食べている人を見ると、どうやら肉まんらしい・・・これは食べなくては。
適当に頼んでお金を払うと、しわくちゃの人民元(おつり)と一緒に直径5cmぐらいの包子(バオズと読み、具の入った饅頭)がいっぱい入ったビニ−ル袋をくれました。
さっそく頬張ると、火傷しそうなほどアツアツの肉汁がジュワッと出てきて、(ちょっと脂っこいのは気になるけど)
味は悪くないじゃん!

 包子を頬張りながら黄浦江へ。
現在は高層ビルが立ち並ぶこの地区もこの頃は、錦江飯店など旧い建物が残る静かな場所でした。

黄浦江(上海 1985年)

 
 以前の中国には兌換券と人民元の2種類のお金があり、外国からの旅行者は兌換券を使うというのが原則でした。
しかし、現実には普通の商店や屋台で買い物をすると、おつりは人民元でくれるので嫌でも人民元を手にすることになります。
使い残した兌換券は両替した時の控えがあれば換えてくれますが、人民元ではそうはいきません。
そのまま持って出国することになります。
きれいなお札なら記念として取っておくことも旅の思い出になるでしょうが、なにしろボロボロのお札(額面が小さくなるほどヒドイ)が多く、お財布も入れられるのを拒否しそうなほど・・・。
数年前に兌換券が無くなり人民元だけになると同時に、お札も昔よりずっときれいになったみたいです。
今なら、旅の記念にコレクションしてもいいかもしれませんね。

 舒さんという日本語勉強中の人と知り合い、豫園を案内してもらう。
舒さんは、奥さんと1歳ぐらいのお嬢さんとアパ−トで3人暮らしをしているトラックの運転手さん。
まだまだ人民服を着ている人たちが多い中で、スウェ−ドのジャケットを着こなした舒さんは、さすがおしゃれな上海人。

 昔から上海人はおしゃれにお金をかける人達らしく、中国語の先生からこんな笑い話を聞いたことがあります。
「北京人は外出すると『家が火事にならないか』『家に泥棒が入らないか』心配するけど、上海人は『どぶにはまって、服が汚れないか』心配する。」

豫 園(上海 1985年)

 
 当時、外国人が泊まるようなホテルには中国人だけでは入れず、たとえ兌換券を持っていてもホテル内の免税店など兌換券しか使えない店では買い物が出来ませんでした。
持っている兌換券で輸入タバコが買いたいという舒さんに頼まれて、一緒にホテルの免税店へ買い物に行きました。
ホテルの入り口の警備員に止められそうな気がして、自分が泊まっているホテルなのに、少し緊張して入り口を通ったのを覚えています。
 

 
 確か上海でだったと思いますが、デパ−ト(名前は忘れてしまいました)へ行った時のこと、エスカレタ−の周りにすごい人だかりが。
最初、2階へ行くのにお金を払うのかな?と思ったのですが、そうではなくエスカレ−タ−に乗ることが目的で、みんな乗車賃(?)を払って乗っているのでした。
当時珍しかったエスカレ−タ−は、このデパ−トの呼び物だったのでしょう。
もちろん、私も並んで乗ったことは言うまでもありません。
但し、エスカレタ−は2階へ行くだけで、1階へ戻るのは階段を使います。

次回の「きっかけは一人旅(その2)」は、次の目的地「北京」です。

 

AsianMart−aakaatdii 店主          増田眞由美


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